- Campeonato Brasileiro Serie A 2020ブラジル全国選手権 1部 2020
アウトゥオーリ氏がボタフォゴの監督に就いたのが義理 「オファーをくれたことに感謝しかない」
かつて鹿島アントラーズやセレッソ大阪も指揮したパウロ・アウトゥオーリ監督がボタフォゴの監督に再び就任した理由
▲ 1995年に就任したときの義理に感謝してボタフォゴの監督に就く決断に至ったと説明したパウロ・アウトゥオーリ監督
アウトゥオーリ氏が再びボタフォゴの監督になるきっかけとなったのは、ボタフォゴの役員のひとりでもあるカルロス・アウグスト・モンテネグロ氏による招待であったとのこと。同氏がボタフォゴの会長だった1995年に、ブラジレイロンで優勝に導いた当時の監督がアウトゥオーリ氏であった。そのときの恩義も関係しているという。
「感謝しかなかった。当時はモンテネグロ会長とアントニオ・ホドリゲス副会長がチームの復権を私に託してくれた。当時の私はビットーリア・デ・ギマリャエス(ポルトガル)の監督を辞めてブラジルに帰ったが、帰国当時私へのオファーはなかった」
1995年当時の義理があって、2000年にボタフォゴの指揮官になる決意に至ったと説明したアウトゥオーリ氏に対しては、監督辞任後にボタフォゴで裏方への就任オプションも提示されていると明かした。ただし、その中で選手を獲得して契約に誘うフットボールディレクターの役職については、事前に断りの旨を伝えているという。その理由として、クラブのすべてのカテゴリーにおいて戦術や組織をすべて標準化する仕事を、アウトゥオーリ氏自身が望んでいるためだとした。
◆ パウロ・アウトゥオーリ
- 本名:
- パウロ・アウトゥオーリ・ジ・メロ
- 生年月日:
- 1956年8月25日生まれ(63歳)
- 出身:
- ブラジル(リオ・デ・ジャネイロ州リオ・デ・ジャネイロ)
現役時代はブラジル国内のクラブチームでプレイしたが、怪我などでトップチーム昇格前に引退し、1974年に18歳の若さで監督の道に転向。1986年と1995年にはビットーリア・デ・ギマリャエス(ポルトガル)でも監督を務め、1996年にはベンフィカ(ポルトガル)も指揮。1997年にはクルゼイロを率いて。キャリアの大半はブラジル国内だが、2001年にはアリアンサ・リマ(ペルー)の指揮官になると、2003年からは約2年半スポルティン・クリスタル(ペルー)の監督も歴任。ペルー国内で優勝に導いた手腕が買われて、2005年にはペルー代表を率いたが1年持たず解任となった。2005年にサンパウロで州選手権とリベルタドーレスの二冠を達成すると、2006年には鹿島アントラーズ(日本)の指揮官になり、チームの若返りを図ったが、日本でタイトルは獲れず鹿島からは契約更新を拒まれて去ることになった。その後は母国ブラジルのほか、中東などでも監督を歴任し、2015年にはセレッソ大阪の1年でのJ1昇格を託されたが、自動昇格を伸ばした直後に解任された。その後はブルガリア、コロンビアの各クラブチームでも監督を務めた。
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2020.05.02
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