FIFA World Cup 2014 FIFAワールドカップ 2014 ブラジル大会

▲リオ・デ・ジャネイロの位置
サッカー王国と称されて久しいブラジルにおいて、最初にサッカーの試合が行われたとされるのは1894年にサンパウロで行われたものと長く言い伝えられてきた。だが、2012年に実施された調査によって明らかになったのは、サンパウロで行われたとされる日より数ヶ月前に、すでにリオ・デ・ジャネイロでサッカーの試合が行われていたのだという。

調査によると、1893年にスコットランド人のトーマス・ドノホーという男性が繊維工場で働くためにリオ・デ・ジャネイロに移住したことに端を発する。移住前に母国の複数のクラブチームでプレイしていたドノホー氏は、移住の際にスコットランドからサッカーボールとシューズを持ってきたという。
その翌年4月、同氏の提案で5対5のミニサッカーが開催された。このときサッカーの楽しさや魅力に惚れ込んだカリオカの間に、急速にサッカーが普及していったとの調査結果が現在最も有力視されている。

道路や海岸の至る所でサッカーが行われていくうちに、やがてブラジル人によっていくつものフットボール・クラブ(FC)が創設されていった。ちなみにリオ・デ・ジャネイロの4大クラブチームが創設された順は、フラメンゴ(1895年)、バスコ・ダ・ガマ(1898年)、フルミネンセ(1902年)、ボタフォゴ(1904年)。
そしてクラシコの始まりは1912年7月7日とされている。その日、フルミネンセ×フラメンゴの試合が行われ、勝利を収めたのは3-2でフルミネンセだった。この試合を取材したスポーツライター“マリオ・フィーリョ氏”が「Fla-Flu(フラ-フル)」の名付け親とされている。その後、1950年のブラジルW杯開催に合わせて建設されたスタジアムの正式名称に、兼ねてから巨大スタジアムの建設を訴え続けていたマリオ・フィーリョ氏の名前がついた。(エスタジオ・マリオ・フィーリョ) だがこのスタジアムは正式名称よりも、近くを流れる川の名前からついた「マラカナン」という愛称のほうが広く定着している。

リオ・デ・ジャネイロのサッカー史を語る上で切っても切り離せないのは1950〜60年代に活躍したガリンシャ(マヌエウ・フランシスコ・ドス・サントス)であろう。リオのスラム街で生まれた彼はボタフォゴおよびブラジル代表で活躍し、「ブラジルサッカー史上最高の選手」という評価をペレと分け合うほどの偉人だった。晩年はアルコール依存症に苦しみ49歳の若さで他界したが、ガリンシャは今日のリオ・デ・ジャネイロのサッカーの礎をつくった功労者として、今なお多くのカリオカに愛され続けている。

リオ・デ・ジャネイロが生んだスター選手は他にニウトン・サントス、ジーコ、ジャイルジーニョ、ジジ、ホマーリオ、ホナウドなどがいる。

1950年に開催されたブラジルワールドカップではブラジル代表が決勝でウルグアイに逆転負けを喫して準優勝に終わった辛い過去(マラカナンの悲劇)があった舞台としても、その名を残すマラカナン。あれから64年の時を経て、再び王国にワールドカップが帰ってくる。
来年マラカナンに降りかかる未来は、悲劇か。それとも奇跡か。

名称 エスタジオ・マリオ・フィーリョ(愛称=マラカナン)
収容人数 105,000
コートの広さ 110m×75m
開催予定試合 グループリーグの4試合、決勝トーナメント1回戦の1試合、準々決勝1試合、決勝
ホームチーム フラメンゴ、フルミネンセ、バスコ・ダ・ガマ、ボタフォゴ
街の人口 11,835,708
オススメ観光地 コパカバーナ海岸、コルコバードのキリスト像 など
2013.01.15
Cartao Amarelo の管理人が作ったLINEスタンプ「サッカー選手」販売中! LINEをご利用の皆様は是非ご購入ください。
Cartao Amarelo の管理人が作ったLINEスタンプ「サッカー選手」販売中! LINEをご利用の皆様は是非ご購入ください。
▼ 最新ニューストピックス
Cartao Amarelo の管理人が作ったLINEスタンプ「馬〜くん」販売中! LINEをご利用の皆様は是非ご購入ください。
Cartao Amarelo の管理人が作ったLINEスタンプ「馬〜くん」販売中! LINEをご利用の皆様は是非ご購入ください。

twitter  公式アカウント (@amarelo2004)

お問い合わせ

サイトに関するお問い合わせはこちらからお願いします。